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管理栄養士/フードコーディネーターの吉田由子(@d_table445)です。
この記事は
のつづきになります。
食品メーカーでPRのお仕事をしていた頃、毎日、病院を電車と徒歩で回って調乳指導をするお仕事をしていました。
もちろん、粉ミルクも赤ちゃんの大切な「食」ですが、私の目指していた「食」のお仕事とは違っていたので、自分がやりたい「食」の仕事をするためにはどうしたらいいのかな?と悩んでいたとき、1冊の雑誌を見つけました。
食品メーカーでは、毎日3件のアポが入っていましたので、
この雑誌を持ち歩いて待ち時間にファーストフード店や喫茶店などでいつもいつも眺めては理想の食の仕事に就いている自分を妄想していました(笑)
この雑誌からフードコーディネーターという仕事を知り、フードコーディネーターを養成するスクールに通いたいと思うようになりました。
念願のフードコーディネータースクールへ
食品メーカーを退職後、福祉施設の栄養士をしている間、
大阪にあるフードコーディネーターのスクールに通いました。
スクールでは、
- フードコーディネーターの仕事について
- メニュー提案
- 献立の立て方
- 飾り切り
- フードスタイリング
- テーブルセッティング&テーブルフラワー
- 食材・栄養の知識
- 料理撮影
- プレゼンテーション
などを学びました。
実際に自分が作った料理をカメラマンの方に撮影していただく機会もありました。
この頃の情報源は雑誌かテレビしかなかったので、とにかく書店やコンビニで
「フードコーディネーター」「料理研究家」という見出しの雑誌を見かけたら
その雑誌を買ってファイリングしていました。
当時のスクールのノートもファイリングし、今でも大切に残しています。
福祉施設は、平日9時~5時までの勤務で土・日・祝日はお休みだったので、フードコーディネーターのスクールがない日は料理教室に通ったり、食べ歩きをしたり・・・休日は東京にある料理家さんのお店を訪ねたり、とにかくいろいろな事を吸収しようと毎日毎日あちこち出かけていた記憶があります。
この頃、フードコーディネーター検定試験が始まり、
喜び勇んで3級試験を受けて合格したのもこの頃でした。
また、フードコーディネーターのスクールでカラーコーディネートの授業を受けた時、もっとカラーコーディネートについて勉強したくなってテキストを買って読み、せっかくだからとカラーコーディネーターの資格を取りました。
雑誌の企画の料理家さんの料理教室に参加してアシスタントの方にお話を聞いたり、
関西で活躍されている料理家さんにアシスタントにしてくださいと手紙を書いたり、
とにかく可能性のありそうなことを手さぐりでがむしゃらにやっていたと思います。
フリーになるきっかけになった出会い
そんな中、フードコーディネータースクールで同じクラスの生徒として通っていた方と親しくなり、一緒に食事をしたり、イベントに参加したりするようになりました。
彼女が後にフリーの料理研究家として活動を始め、編集プロダクションなどと契約して雑誌などで活躍するようになります。
とはいえ、その当時の私はまだまだ経験不足、フリーになっても使い物にならないと自分で感じていましたし、変わらずアシスタントの受け入れ口は見つかりませんでした。
そこで、もっといろいろな「食」の仕事がしたいと思い、外食産業に就職したいと思いました。
「次こそは、勉強したことを活かしてメニュー開発!」
またまた就職活動が始まりました(笑)
つづく・・・